- 由緒
景行天皇の御代、日本武尊東征の砌り創祀し、国家鎮護を祈願したといわれる。清和紀貞観8年伊具郡鹿島苗裔神一座云えるは当社のことにて相当栄えし神社と覚ゆ。もと鹿島大明神と称し修験(本山派)宝成院社務に預る。当領主小斎長門、又、天正以後は佐藤氏(伊達公族当邑主)に於いても大小祭典並造修営に従い、尊崇怠ることなし。維新の改革により社号を改め、明治3年修験宝成院は清水宮人藤原国清復飾、同5年太政官達により村社に列せられ、同40年の3月幣帛供進神社に指定された。本殿は天文元年の再建で拝殿は寛政4年再造にかかる。流鏑馬祭は鎌倉時代からの古神事で、毎年正月、村の若者から10人射手を募り、15日の午后より神社の精進舎に17日の早朝まで2夜3日の沐浴精進を行い、辰の時刻を期し、流鏑馬を執り行うのである。藩政時代には領主佐藤氏より検視役を遣わし優劣の襃貶を行った。射手に太郎、次郎とあり、外に御山の大将があって射手を指揮する。神的、かりがね等の古儀がある。戦争にて中断されていたが、平成3年3月3日に復興。
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