- 由緒
当社の勧請年月は不祥なるも結城七郎の苗裔結城五郎が紀州熊野権現の分霊を請ひ建立したるものと伝ふ。当所は元熊野代権現と称し、此地の国主たりし國分盛重の氏神として尊崇せられ松森村の鎮守として奉祀されてゐたが、寛文年中火災に罹り往古の縁記神宝等焼失せり。寛文11年別当永全時の藩主伊達綱基に請ひ造営の木材を拝領、広く浄財を求めて社殿を再建す。その規模大ならざりしも建築様式等最も精巧なるものなりしと云ふ。明治6年に名称を熊野神社と改め、村社に列せられる。大正4年7月指令第1604号をもつて村内無格社薬師神社を合祀せり、然るに昭和13年7月社殿後方岩磐崩落により全社殿倒潰せり。昭和14年8月氏子協力により現社殿を奉建して今日に至る。境内には神木の大杉があり樹齢1000年を経るものと認められ、幹の周囲20余尺村内髄一の老杉であり、村内は勿論遠く海浜方面よりの尊崇を享けてをりましたが、平成9年立ち枯れのため伐採された。
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