- 由緒
93代後伏見天皇の正安2年5月(1300、鎌倉)紀伊国熊野神社より勧請し、奥羽鎮護として朝日館の邑主小野田玄蕃長重左京太夫が内海正等に剃髪せしめ名も宥全と改め当社の別当に定め置き、外に多くの坊を設け衛士数多を置いてこれに食田を与えた。その後天正18年長重左京太夫貞康大崎左衛門義隆の先防となり伊達政宗の先陣小山田以下千余騎と戦ったが、大崎方の敗北となり、朝日館城主長重の家は断絶し一門は仙北に逃れた。内海家の者のみは先祖の為に当要害を立去らず土民に下り子孫永世本社を護持して来た。明治5年3月村社に列せられ、同12年4月別当船形膳丸本殿改築、同44年4月社掌三樹丸の代に拝殿、石間等を新営し今日に至る。昭和4年5月供進社に指定された。
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