- 由緒
勧請年月明らかでないが、境内に宝亀11年(780、奈良)坂本朝臣宇頭麿の植えた杉という古杉がある。文治5年(1189、鎌倉)源頼朝宇佐八幡の分霊を奉斎して再興する。同年9月14日頼朝平泉に攻め入る際小室崎に陣を布く。和田義盛に命じて戦陣守の神石を当社の御神体と鎮め黄金造の大刀を献じ戦捷を祈った。爾後義盛をして当社の別当と定めたといわれる。延元4年(1339、南北朝)大崎家親族侍文将大崎五部奉行湯山駿河守昌権。宗節、権雪の3代小宮崎城に居るや当社を殊に深く崇め奉る。天正18年大崎家亡び伊達政宗岩手山城に移るに及び、社領三両を寄進し慶長7年政宗仙台城に移った後、岩手山城に伊達宗敏を封ず。宗敏幼時遠藤所平に養育された縁故により尊崇極めて篤く明治に至ったのである。中世より羽黒派修験良源院世々祠職たりき。氏子350戸、名生定地区(小身川原、黒崎、野際、坂の上)。○岩手山城に政宗の八男三河守宗泰が政宗の後最初の城主ではないか。
- 地図