- 由緒
古来、日宮・大日社・駒形社と称し、俗にお駒様と親しまれている。社記に『日本武尊御東征の折、大日孁尊外五柱の主神に祈願創建』奥羽鎮護の一ノ宮として駒形嶽(栗駒山の古名)を奥宮、沼倉の地に里宮を祀ったと誌され、太古より日宮と呼称。日は火に通じ火山を意味し、私達の祖先が山のもつ神秘性と霊威に感動する姿が偲ばれ、山岳信仰を母胎に自然崇拝・鎮魂の祭礼が起こり、神社を形成してきた。大和朝廷の蝦夷平定に伴い社勢隆盛。延暦20年(801)坂上田村麿奥羽鎮定を祈願。四大門(東は一関三島・西は花山・南は尾松大鳥・北は秋田仙北)を建て、自ら駒形根大明神の大額奉献。次いで仁寿元年(851)神階正五位贈、清和天皇貞観元年(859)勅使下向正一位贈称号賜勅宣日宮が史料に散見し、延喜式(901~)神名帳登載。後、源氏、平泉藤原氏崇敬篤く武具祭田献納。社殿壮大。四大宮司三十禰宜六十社家を容し、奥羽総鎮守として信仰を集め(親蹟聞老志)、お駒精進講・お駒講・駒形講等の駒形信仰の源流となった。嘉祥3年(850)駒形山大昼寺建立。やがて奥羽一帯修験の地となり神仏混淆に入る。889年後の元文4年(1739)仏教から分離、御巡幸始まる。寛保3年(1743)桜町天皇より御宣命と御宸筆の扁額を賜る。明治4年郷社に列する。昭和3年建立の奥宮が朽ちて50年。昭和62年、山頂に奥宮再建。歴史に埋もれていた当神社が多くの人々に見直され、農畜の神。家内安全商売繁昌の神。特に、栗駒の山名と残雪の駒姿。大昔から馬産地であった馬の信仰が根強く残り、現代の車社会で交通安全の神としても効験著しいと脚光を浴びることとなった。
- 地図
- 動画