- 由緒
第70代後冷泉天皇の天喜4年(1056年)陸奥守鎮府将軍源頼義公が安倍頼時を征し、地方人民風俗を見聞し、人民を治める為、衣食住の守護の神を信仰せしむと其の神恩に報じ奉る稲荷の大神と祀るという。当時延慶3年(1309年、鎌倉時代)旧境内社殿後方に「諏訪の碑」と称する碑あり。その後第103代後土御門天皇(1469~1486年)の文明年間に名取郡郡山村北目城主粟野助五郎大膳亮忠重の子右京之助、遠江守国定祀堂改造す。又、永禄年間第106代正親天皇(1554~1569年)北目城主粟野多門国重社殿を再建したと伝える。別当寺を光越山といったが明治のはじめに廃す。明治初年篭ノ瀬の八雲神社(祭神素盞鳴命)を合併する。明治5年8月(1872年)村社に列し、同40年3月幣帛供進社に指定された。同45年5月2日砂押村社の深山神社(祭神大山祇神)合併する。大正11年(1922年)古来の境内地は長町駅操車場に指定せられ買収され大正13年(1924年)10月芳賀家の厚意により現在地に移築遷座す。移築に当り、芳賀家先代の遺志を継ぎ社殿屋根を銅板葺き改修と一人寄進す。以後80年という永い年月氏子、崇敬者の“幸”と“地域の発展”の為、御神威を現し常に厚い信仰で祀られて参りましたが、社殿屋根の雨漏れ、土台の沈下、老朽化が進み、地震対策をも考慮し、多くの方々より奉賛を頂き平成15年1月より実行委員会を立ち上げ、社殿改築し平成16年(2004年)12月18日正遷座を斎行す。
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