- 由緒
当社の創建は後冷泉天皇の御代源頼義父子が勅を奉じて其の一族源頼遠等を随えて奥州に下向し叛賊安部氏を征する際陣中においてしばしば石清水八幡神を祀り、戦捷を祈請せしに起因する。康平5年賊平定の後奥州諸処に石清水八幡宮の分霊を勧請奉祀した。当社も其の一で治暦2年(1066)の創建と伝える。後、五百三十余年を経て奥州石川郡広川の城主石川昭光(源頼遠の後裔)同石川郡石川に鎮座せる石川都都古別八幡宮(石川家の祖先源頼遠の長子石川有光の勧請にして石川家の氏神)の分霊を奉じて当地角田に移り、これを合祀し、新に拝殿を造営した。時に慶長3年10月であった。爾来、当社を石津八幡宮、又は磐都嶺八幡宮と称し、領主石川家累代の氏神たると共に全領地(角田外28邑)の総鎮守と定め領主より神田社領(1貫500文)を寄進して神社一切の経費に充て祭祀を厳修せしめ明治に及んだ。現在の本殿、幣殿は安政元年旧領主石川義光の造営にかかり、拝殿は寛政9年、楼門は慶応2年、鳥居は万延元年の建営である。明治5年8月村社列格、同30年3月供進神社指定、同42年牛館の水神社、同45年7月同地鎮座幡守神社を合祀、これより先明治34年熊野神社、同39年大鳥頭の住吉神社を配祀している。
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