- 由緒
伝えるところによれば、文徳天皇(852年)の頃、時の摂政藤原良房の娘、故あり都をのがれて当地(利府町赤沼)に辿り着いた。年若く身重であり着ているものの荘厳さに田舎人は不審をいだくも親切な老夫婦の情けで宿をかり、出産した。この赤子は後の清和天皇の妹となる。やがて里人らは若い女性に協力をし、仮屋を作り、食物を運ぶ。里人らの深い愛情に女性は、里の婦を集めて裁縫・染物の技を伝授した。この女性が藤原良房の娘・文徳天皇の女御であった。染殿という名は藤原良房の屋敷の地名であるという。里人はその徳を慕って祀った。染殿神社は、いつ・誰が建てたかは不明である。
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