- 由緒
本社は往古より、塩土老翁神、武甕槌神、経津主神の三神を祭神として現地に鎮座し、中世廃社の如くなりたるを、天正19年(1591年)、涌谷領主・伊達安芸の祖、亘理元宗公が亘理郡より遠田郡涌谷へ移封の際、これを再興し、天下国家、領内安全、五穀豊穣の祈願所とした。現在の社殿は伊達安芸宗重の子、宗元公が仙台藩主綱村公幼少の為、代りて日光東照宮修造監督の台命を受け、就役年余、竣って帰館する際に其の工匠3名を伴い来りて、元禄元年(1688年)涌谷日向鎮座の神明社と本社とを造営した。その後、天保8年(1837年)8月伊達安芸義基公が大修理を加え、今日に至る。明治維新までは塩釜大明神塩釜宮と称せしを明治5年塩釜神社と改称した。明治5年3月村社。昭和16年(1941年)社務所の新築、鳥居の再建(三神千尋氏寄進)。昭和31年(1956年)本殿・幣殿の改築。岩崎淳夫氏寄進と区民により行なわれた。
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